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東京地方裁判所 昭和48年(ヨ)3060号 判決

債権者

倉科博徳

右訴訟代理人

久保田昭夫

岡田克彦

債務者

阿部芳男

右訴訟代理人

佐藤操

主文

一  債権者が本判決言渡の日から二〇日以内に金一〇〇万円の保証を立てることを条件として左のとおり定める。

債務者は、別紙物件目録(一)記載の土地の南西隅と同目録(二)記載の土地の南東隅の接する地点に在る境界石の上面中心点と、その北方一七メートル余の地点付近に在る木製四角の門柱の北西角の接地点とを結んだ直線の西側で同直線から五〇センチメートル以内に在る土地上に建物を建築してはならない。

二  訴訟費用は、債務者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  債権者

主文第一項後段と同旨の判決。

二  債務者

「本件仮処分申請を却下する。申請費用は、債権者の負担とする。」との判決。

第二  当事者の主張

一  申請の理由

(一)  被保全権利

1 別紙物件目録(一)記載の土地(以下、四〇番六の土地と略称)は、債権者の所有であり、同目録(二)記載の土地(以下、四〇番七の土地と略称)は、債務者及び申請外阿部しずえ(以下、債務者らというときは、右両名を指す)の共有である。右二筆の土地は相接している(以下、右二筆の土地の境界を本件境界と略称)。

四〇番六の土地の南西隅と、四〇番七の土地の南東隅の接する地点に境界石があり、その北方一七メートル余の地点付近に在るコンクリート製万年塀に接して債権者方の木製四角の門柱が立つている。本件境界線は、右境界石の上面中心点(別紙添付図面のリ点、以下リ点と略称)と右門柱の北西角の接地点(別紙添付図面のイ点、以下イ点と略称)とを結んだ直線上に在る。

2 仮に、本件境界が、債務者主張のようにイ点の東方七〇センチメートルの地点(別紙添付図面のト点、以下ト点と略称)と前記リ点とを結ぶ直線上に在り、従つて前記、リイ、ト、リの各点を順次に結ぶ直線で囲まれる土地(以下、これを本件係争地と略称)が四〇番七の土地の一部であるとしても、本件係争地については、次に述べるような事実関係があるので、遅くとも昭和四八年八月一七日には、債権者がこれを時効取得したのでこれを援用する。従つて前記リ、イの各点を結ぶ直線は、債権者の所有地と債務者の所有地との境界線をなすものである。

時効取得の基礎となる事実関係は、次のとおりである。

四〇番六の土地は、もと、申請外根本信義の所有であつたが、昭和二八年八月四日、申請外西村光雄は、根本明義から四〇番六の土地を、これに本件係争地も含まれるものとして買受けて、その所有者となり、遅くとも同年同月一七日までに同人から本件係争地をも含めて、その引渡を受けて占有を始めた。西村光雄は昭和四三年二月死亡したので、申請外西村文子は、その相続人として、本件係争地を含むものとしての四〇番六の土地を承継取得し、且つこれについての占有も西村光雄から承継した。債権者は昭和四四年二月二一日西村文子から、本件係争地を含むものとしての四〇番六の土地を買受け、同時にその引渡を受けることによりその占有も承継した。じらい債権者は本件係争地を四〇番六の土地の一部として占有して今日に至つているが、本件係争地に対する西村光雄、西村文子及び債権者の各占有を併わせると、遅くとも昭和四八年八月一七日には二〇年の取得時効期間が満了したことになる。

3 四〇番七の土地の西側に、これと隣接している別紙物件目録(三)記載の土地(以下、四〇番九の土地と略称)も債務者らの共有であるが、債務者は、最近、五〇番七の土地と四〇番九の土地にまたがつて四階建鉄筋コンクリート造りの貸店舗兼共同住宅(以下、本件建築予定建物と略称)を建築する計画を立て、すでに建築主事から建築確認を得た。しかし右建築計画によると、本件建築予定建物の東側外壁面は本件境界即ちリ、イの各点を結ぶ直線からの距離が、その南側で僅かに二〇センチメートル、その北側で僅かに二二センチメートルしかない。

よつて、債権者は、民法第二三四条第二項の規定に基づき債務者に対し、前記リ、イの各点を結ぶ直線の西方、右直線から五〇センチメートル以内の土地上に建物を建てないよう求める権利を有するものである。

(二)  保全の必要性

債務者が本件建築予定建物の建築に着手してしまうと、債権者が債務者に対して前記被保全権利の実行を求めることは、事実上極めて困難となるし、一旦右建物が竣成されてしまえば、たとえ債権者が目下準備中の本案訴訟で勝訴しても、右建物のうち、リ、イの各点を結ぶ直線から五〇センチメートル以内の土地上に在る部分の除去を求めることはできなくなつてしまう。

右のような事態になれば、債権者は重大な損害を被る恐れがある。

二  申請の理由に対する答弁

(一)  被保全権利について

1 申請の理由(一)の1の事実中、四〇番六の土地と四〇番七の土地の所有関係及び相互の位置関係並びに債権者主張の位置にその主張の境界石及び木製四角の門柱が在ることについては、いずれも認めるが、本件境界線がリ、イの各点を結ぶ直線上に在ることは否認する。本件境界は、イ点からコンクリート製万年塀に沿つて東方に七〇センチメートル進んだ地点であるト点をリ点と結んだ直線上に在る。なおト点の直上には右万年塀にペンキで境界標示が施されている。

2 申請の理由(一)の2の事実中、四〇番六の土地の所有権とその占有が、債権者主張のとおりに根本明義、西村光雄、西村文子、債権者と、順次、承継されてきたことは認めるが、同人らの占有が本件係争地に及んでいたことは否認する。従つて本件係争地を債権者が時効取得したことは争う。

3 申請の理由(一)の3前段の事実は認める。

(二)  保全の必要性について

申請の理由(二)前段の事実は認めるが、後段は否認する。

三  抗弁

(一)  申請の理由(一)の2に対して、

1 四〇番七の土地及び四〇番九の土地は、債務者らが昭和四七年七月八日に申請外飯田末由から買受けたものであるが、仮に、債権者主張のとおり、西村光雄、西村文子及び債権者が本件係争地を占有してきた事実があるとしても、債務者らの前主飯田末由は西村光雄、西村文子及び債権者に対し、同人らが本件係争地を占有していることにつき、絶えず異議を述べていたものであるから同人らの本件係争地占有は、平穏になされていたものではない。

2 前述のとおり、債務者らは、昭和四七年七月八日に四〇番七の土地及び四〇番九の土地を飯田末由から買受けたが、同年同月一〇日に右各土地につき債務者ら共有名義の所有権移転登記を了した。これによつて債権者主張の時効は中断したものである。

(二)  申請の理由(一)の3に対して、

1 四〇番七の土地及び四〇番九の土地は東京都市計画区域内に指定された準防火地域内に在り、且つ本件建築予定建物は鉄筋コンクリート造りで外壁が耐火構造のものである。

従つて仮に本件境界線が債権者主張のとおりであるか或いは本件係争地についての債権者の時効取得の主張が認められるとしても、本件建築予定建物は、建築基準法第六五条の規定により、隣地境界線であるリ、イの各点を結ぶ直線に接して建てることができるものである。

2 本件関係土地周辺地域には、隣地境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで建物を建てることができる慣習がある。

よつて、債務者は民法第二三六条の規定によりリ、イの二点を結ぶ直線から五〇センチメートルの距離を置かないで本件建築予定建物を建てることができるものである。

四  抗弁に対する答弁

(一)  抗弁(一)に対して

1 抗弁(一)の1の事実中、債務者らがその主張の日に四〇番七の土地及び四〇番九の土地を飯田末由から買受けたことは認めるが、その余は否認する。

2 抗弁(一)の2の事実中、債務者らが主張の日に四〇番七の土地及び四〇番九の土地につきその主張のような登記を経たことは認めるが、その余は争う。

(二)抗弁(二)に対して、

1 抗弁(二)の1前段の事実は認める。同後段は争う。

2 抗弁(二)の2前段の事実は否認する。少くとも、本件建築予定建物のような高い建物については、債務者主張のような慣習はない。同後段は争う。

第三  疎明関係〈略〉

理由

第一被保全権利について

一先ず、本件境界はどこかについて考察する。

別紙物件目録(一)記載の土地(以下、四〇番六の土地と略称)が債務者の所有であり、同目録(二)記載の土地(以下、四〇番七の土地と略称)は債務者と阿部しずえ(以下、債務者らというときは、右両名を指すものとする)の共有であること、右二筆の土地は相接していること、四〇番六の土地の南西隅と四〇番七の土地の南東隅の接する地点に境界石が設置されていること、その北方一七メートル余のところに在る万年塀に接して債権者方の木製四角の門柱が立つていること、以上の事実は、当事者間に争いがない。

債権者は右二筆の土地の境界(以下、これを本件境界と略称)は、右境界石上面の中心点即ち別紙図面のリ点(以下、リ点と略称)と右門柱の北西角の接地点即ち別紙図面のイ点を結んだ直線上をに在ると主張する。これに対し、債務者らは、本件境界は、イ点から前記万年塀に沿つて東方に七〇センチメートル進んだ地点即ち別紙図面ト点(以下、ト点と略称)と前記リ点とを結んだ直線上に在ると主張する。よつて案ずるに、

〈証拠〉によれば、本件境界はリ、イの各点を結ぶ直線上にはなく、リ、ヌ、ヌ'の各点を結ぶ直線上に在るものと一応認めることができる。〈中略〉

二債権者の時効取得の主張について判断する。

(一)  四〇番七の土地のうち、リ、イの各点を結ぶ直線上以東の部分は、西村光雄が昭和二八年八月四日ころからその占有を始め、昭和四三年二月には西村文子が西村光雄から右部分の占有を承継し、昭和四四年二月二一日ころには債権者が西村文子から右部分の占有を承継し、現在もこれを占有していることは前認定の事実関係から明らかである。右事実によれば西村光雄、西村文子及び債権者がそれぞれ前記土地部分の占有を始めてから、それを終えるまで或いは現在までの間その占有が継続したものであることは法律上推定せられるところであり、従つて西村光雄、西村文子及び債権者の前記土地部分に対する各占有の期間を通算すれば、遅くとも昭和四八年八月半ばころをもつて二〇年間が経過したことになる。また右事実によればその間西村光雄、西村文子及び債権者がいずれも前記土地部分を所有の意思をもつて平隠且つ公然に占有したものであることも法律上推定されるところである。

(二)  抗弁(一)の1(占有の非平穏の主張)について

債務者は、四〇番七の土地の所有者であつた飯田末由は西村光雄、西村文子及び債権者に対し、同人らが右土地のうちリ、イの各点を結ぶ直線以東の部分を占有していることにつき絶えず異議を述べていたから右の者らの右占有は平穏なものではなかつたと主張する。よつて案ずるに、前示乙第一二号証の記載によれば、飯田末由は四〇番五の土地と四〇番七の土地との境界に関して根本明義に対して異議を申し述べたことのあることが認められるが、その他に同人が債務者の右主張のように異議を述べたことが窺えるような資料はなく、西村光雄、西村文子及び債権者による前記土地部分の占有が平穏ではなかつたことについては疎明がない。よつて債務者の前記主張は失当である。

(三)  抗弁(一)の2(登記による時効中断の主張)について

債務者は、債務者らは昭和四七年七月八日に飯田末由から四〇番七の土地を四〇番九の土地と共に買受けて、同年同月一〇日に債務者ら名義に所有権移転登記を経由したから、債権者のための取得時効は右登記によつて中断されたと主張する。よつて案ずるに、取得時効が完成しても、その登記がなければ、その後に登記を経由した第三者に対しては、民法第一七七条の適用上、時効による権利の取得を対抗し得ないのであるが、第三者のなした登記後に取得時効が完成した場合は、取得時効制度の本旨に則り、その第三者に対しては登記を経由しなくとも、時効取得をもつてこれに対抗し得るものと解するのが相当であり、これは、ほぼ確定した判例理論ともなつている(昭和四一年一一月二二日第三小法廷判決・民集二〇巻九号一九〇一頁、昭和四六年二月五日第二小法廷判決民集二五巻八号一〇八七頁)。尤もこのような解釈を採ると時効完成前に第三者が登記を経由した場合の占有を時効完成後に第三者が登記を経由した場合の占有よりも重んずるような結果になる。それで学説上かかる結果を不当なりとして、これを解消するため第三者への登記移転を取得時効中断の事由と解すべきであるとする見解があり、債務者の前記主張もかかる見解を前提とするものと思われる。しかしながらこの見解は、法律上の明文根拠を欠く点は措くとしても、必ずしも全面的に合理的なものとは認め難い。蓋し取得時効の援用者が第三者の登記のときから逆算して時効完成のための要件事実を充足しつつ法定期間の占有を継続したと認められるような事実関係があるときは――本件の場合についていえば、債権者は西村文子、西村光雄のほかその前主である根本明義の占有をも併せ主張すれば、債務者らのための登記がなされたときから逆算してゆうに二〇年の占有継続をしたものと認められる事実関係にあることは、前判示したところによつて明らかである――取得時効制度の本旨に照らし、第三者への登記移転をもつて取得時効中断の事由としなくとも、実質的に見てなんら不合理なところはないし、さればといつて、第三者への登記移転が取得時効の中断事由となるか否かを、右のような事実関係の存否にかからせるのは不当だからである。思うに、取得時効の完成と第三者のための登記との先後関係いかんによる権利関係の消長について前判示のような解釈を採ることにより、時効完成前に第三者が登記を経由した場合の占有を時効完成後に第三者が登記を経由した場合の占有よりも重んずるような結果になるのは、時効進行中に第三者に登記が移転したのにかかわらず時効完成を認めてしまうからでなくして、時効取得についても民法第一七七条を適用するからであり、他方時効取得について民法第一七七条を適用することは、たとえそれによつて右のような結果が生ずるとしても、時効完成後に登記を経た第三者の保護を優先させるため、これを維持するのが相当であるから、結局右のような結果はこれを止むを得ないものと認めざるを得ないのである。以上のとおりであるから、第三者への登記移転を取得時効中断の事由と解すべきであるとの前記見解はこれを採用することができず、右見解を前提とする債務者の前記主張はそれ自体失当といわざるを得ない。

(四)  以上のとおりであるから、四〇番七の土地のうち、リ、イの各点を結ぶ直線以東の部分については、民法第一六二条第一項の規定により遅くとも昭和四八年八月半ばころまでには債権者のための取得時効が完成したものと認められ、従つて右部分は、西村光雄が右土地部分の占有を始めたときに遡つて同人の所有に帰したことになり、同人から西村文子へ、西村文子から債権者へとその所有権が承継されてきたことになる。

(五)  以上のとおりであるから、リ、イ各点を結ぶ直線は、四〇番七の土地のうち債権者所有の部分と債務者ら所有の部分の境界をなすものといわなければならない。

三そこで被全全権利の存否について判断する。

(一)  四〇番七の土地及びその西側に隣接している四〇番九の土地が債務者ら共有であること、債務者は最近右二筆の土地にまたがつて四階建鉄筋コンクリート造りの貸店舗兼共同住宅(以下、本件建築予定建物と略称)を建築する計画を立て、すでに建築主事から建築確認を得たこと、右建築計画によれば、本件建築予定建物の東側外壁面は、リ、イの各点を結ぶ直線からの距離がその南側で僅かに二〇センチメートル、その北側で僅かに二二センチメートルしかないこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

(二)  抗弁(二)の1(建築基準法第六五条適用の主張)について

債務者は、本件建築予定建物は外壁が耐火構造の建築物であるから、建築基準法第六五条の規定により、これを隣地との境界線に接して建てることができるものであると主張する。よつて建築基準法第六五条の規定が民法第二三四条第一項の規定の適用を排するその特則を定めたものか否かについて考えてみる。土地所有権についてのいわゆる相隣関係規定の一つとしての民法第二三四条第一項の規定は、わが国古来の慣行に由来するものではあるが、右規定の趣旨は、若し隣地に境界に接した建物が建築されると、その屋根から落下する雨水その他の物があるときこれが他方の土地内に落下したり、他方の土地所有者が建物の修繕や改築をしたいときに隣地を利用させてもらうことが全くできなかつたり、火災発生のときに延焼の危険が大きかつたり、建物のための採光、日照、通風等がわるくなつたり、その他いろいろな面で生活利益が害される恐れがあるので、相隣土地所有者相互の生活利益を守るため、相隣土地所有権の内容に、建物を建てるには境界線から五〇センチメートル以上の距離を置かなければならないという制限を加え、もつて相隣土地所有者間の土地利用関係を調整することに在るものと解される。これに対し、建築基準法第六五条の規定は、先ず、防火地域又は準防火地域内にある建築物に関する規定であるが、防火地域又は準防火地域は、都市計画区域内に、市街地における火災の危険を防除するため定められた地域である(都市計画法第九条第一一項参照)。ところで建築基準法は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とするものである(同法第一条)が、同法第三章「都市計画区域内の建築物の敷地、構造及び建築設備」の第五節「防水地域」の中の同法第六一条は防火地域内の建築物の構造について規定しており、同法第六二条は準防火地域内の建築物の構造について規定しており、同法第六三条は防火地域又は準防火地域内における建築物の屋根の構造ないしは材料について規定しており、同法第六四条は防火地域又は準防火地域内にある建築物で、耐火建築物及び簡易耐火建築物以外のものの外壁の開口部における防火設備について規定しており、同法第六六条は防火地域内にある看板、広告塔、装飾塔その他これらに類する工作物のうち一定のものについての製作材料ないしは防火措置について規定している。そして、これらの各規定がいずれも防火地域又は準防火地域として指定された市街地における火災の危険を防除し、延焼を防止するという公共の目的を達するために設けられたものであることは明らかである。従つてこれら規定の中に介在する同法第六五条の規定も亦右の公共目的との関連において設けられたものと解さざるを得ないのであつて、これを具体的にいえば、防火地域又は準防火地域内においては、たとえ相隣地所有者間の合意により、又は民法第二三四条の第一項の規定と異つた慣習があることにより、私人間の権利関係としては隣地との境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで建物を設けることができる場合であつても、火災の危険の防止ないしは延焼防止という公共的見地から果して境界線から五〇センチメートルの距離を置かずに建物を設けてよいものかどうかが問題になるので、これを解決するためにこの規定が設けられたものと解されるのである。従つて建築法第六五条の規定は、防火地域内又は準防火地域内にある建築物は外壁が耐火構造のものに限つて、その外壁を隣地境界線に接して設けることができるとの趣旨に解すべきものであつて、防火地域又は準防火地域内にある建築物で外壁が耐火構造でないものは、たとえ相隣地所有者間の合意により、又は民法第二三四第第一項の規定と異なつた慣習があることにより、私人間の権利関係としては境界に接して建物を設けることができる場合であつても、同法同条の規定により境界に接して建物を設けることはできないものと解しなければならない。建築基準法第六五条の規定は、右のようなものとして、建築主事が同法第六条の規定によつて建築物の建築確認を行なう場合の基準となるものであり、また右のようなものとしての建築基準法第六五条違反の事実があれば、これを直接に処罰する規定こそないが、同法第九条の規定により、特定行政庁は然るべき違反是正命令を発することができるのであり、この命令に違反すれば同法第八九条の規定によつて処罰もされるのである。以上のとおりであるから、建築基準法第六五条の規定は、私人間の生活関係を規律するために設けられたものではなく、専ら防火という公共的見地に立つての建築行政に関する法即ち公法として設けられたものと解され、従つてそれは民法第二三四条第一項の適用を排するところのその特則を定めたものではないといわなければならない。尤も建築基準法第六五条については、これは、防火地域又は準防火地域内にある土地の合理的な高度、効率的利用を図るために設けられたものであつて、民法第二三四条第一項の特則であるとの見解があり、同趣旨の下級審裁判例もあるので、これについて一言する。都市計画区域内で土地の合理的な高度、効率的利用を図る必要のある区域は、概ね防火地域又は準防火地域に指定されているかも知れないが、都市計画区域内で土地の合理的な高度、効率的利用を図られるべき区域は、防火地域又は準防火地域に限られるということはできない。他方、都市計画区域内であつて防火地域にも準防火地域にも指定されていない区域においても、外壁が耐火構造である建築物が、耐火建築物又は簡易耐火建築物又は外壁が防火構造の木造建築物――建築基準法上、建築物は防火地域内では右に挙げた三種の建築物のうち前の二種のものに限られ(同法第六一条参照)、準防火地域内においては、右に挙げた三種の建築物のうち後の二種のものに限られる(同法第六二条参照)――の建つている土地の隣地に建てられる場合が起り得る。従つて若し建築基準法第六五条の規定の趣旨が前記見解のとおりとするならば、都市計画地域内の防火地域にも準防火地域にも指定されていない区域のうち土地の合理的な高度、効率的利用の図られるべき区域で起こる右に述べたような場合のためにも、公平上、上壁が耐火構造の建築物はその外壁を隣地境界線に接して設けることができる旨の規定を設けて然るべきである。しかるに建築基準法にはそのような規定は見当らない(都市計画法第九条第一一項、建築基準法第五九条所定の高度利用地区に関する規定参照)。このことは、同法第六五条の規定の趣旨が前記見解のようなものであることを、先ず、疑わせるものである。のみならず、民法第二三四条第一項の規定の趣旨は、前判示のとおり、相隣土地所有者間の多面に亘たる相互の生活利益を調整するに在るのであるから、防火地域又は準防火地域内に建てられる建築物の外壁が耐火構造のものであるというだけの理由で、民法第二三四条第一項の規定がその調整を担つているところの、延焼防止以外の諸々の相隣的生活利益のすべてを無視することは到底許されず、たとえ防火地域又は準防火地域内では土地の合理的な高度、効率的利用が必要であるにせよ、その点同断である。よつて前記のような見解は到底採ることができない。以上のとおりであるから建築基準法第六五条の規定のみを根拠にして、本件建築予定建物を隣地との境界に接して建てることができるという債務者の前記主張は主張自体失当であつて採用することができない。

(三)  抗弁(二)の2(民法第二三六条適用の主張)について

債務者は、本件関係土地周辺には、隣地境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで建物を建てることができるという慣習、即ち民法第二三四条第一項の規定と異つた慣習がある、と主張する。よつて案ずるに、凡そ慣習とは、ある一定範囲の社会においてある種の行為が数多くなされてきたことに因つて歴史的に形成された一種の社会規範であつて、若しこれに違反すれば、不正なことをしたとは評価されないにしても、なんらかの形でなんらかの程度において当該社会の一般成員の大多数から否定的反応ないしは否定的評価―例へば、変り者扱いされるとか「あの人は変つている」と言われるとか―を受けることを免れないのである。慣習のもつ社会規範性は、法や道徳のそれのように厳しいものではなく、また必ずしも合理的なものでもないが、それは歴史的に形成されたものであるため、当該社会においては凡そ歴史的なものがもつ重さと同質の重さをそなえ、その反面凡そ歴史的なものがもつ可変性と同様の可変性を内包するものである。かかるものとしての民法第二三四条第一項の規定と異つた慣習の存在が認められるためには、まず一定範囲の地域社会で境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで建物が建てられてきた事例が数多く見出されなければならない。建物は平家建又は二階建のような低層建物としからざる中、高層建物と区別されなければならず、またその末端を公道に接する境界線における事例としからざる事例も区別しなければならない。蓋し、人は低層建物を境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで建てることについて或いはその末端を公道に接する境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで建物を建てることについては、否定的反応を示したり否定的評価をしたりしないとしても、中、高層建物を境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで建てること或いはその末端が公道に接していない境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで建物を建てることについてまで否定的反応を示したり、否定的評価をしたりしないものと即断することはできず、近時、公知のとおり隣地建物による日照遮蔽が社会的に問題になつていることのみをみても、それについては否定的反応を示したり、否定的評価をしたりすることがゆうにあり得ることだからである(民法第二三四条第一項の立法趣旨についての前示説示参照)。しかしてその末端が公道に接する、又は接しない境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで低層建物又は中、高層建物を建てようとする者とこれに対し異議を述べる者とが現われた場合これらの者の属する地域社会の他の成員の大多数から、前者はなんら否定的反応ないしは否定的評価を受けることがなく、却つて後者がそれを受けるという事実が認められるとすれば、当該地域社会には右のような境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで右のような建物を建てることができるという慣習があるということができるのである。ところで本件建築予定建物は鉄筋コンクリート造りの四階建て建物即ち中層建物であり、債権者所有地と債務者ら所有地の境界をなすリ、イの各点を結ぶ直線は公道に接していない境界であるから、債権者が民法第二三六条の規定を根拠に、本件建築予定建物を、リ、イの各点を結ぶ直線から五〇センチメートルの距離を置かないで建てることができるためには、本件関係土地周辺の地域においては、その末端が公道に接していない境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで中層建物を建てることができるとの慣習がなければならないのである。

ところで、いずれもその説明書記載のとおりの写真であることについて当事者間に争いのない乙第七号証、同じく乙第九号証同じく甲第一七号証、成立に争いのない乙第一〇号証及び証人阿部しずえの証言並びに弁論の全趣旨によれば、本件関係土地は東上線中板橋駅から二〇〇メートル足らずの距離にあり、その周辺は住居地域内に在ること、本件関係土地周辺の建物の大部分は、二階建て又は平家建であつて、三階建て又は四階建ての建物も散在はするが、その数は少く、しかもこれら建物は比較的最近に建てられたものであること、本件関係土地周辺の建物の大部分は、公道に沿つて建てられているものであるが、その中には、その末端を公道に接する境界線から五〇センチメーートルの距離を置かないで建てられているものが相当多数あり、殊に散在する三階建て又は四階建ての建物の大部分は、そのように建てられており、その中には、その末端を公道に接していない境界線との調査でもそのように建てられているものもあること、以上の事実が疎明される。しかしこれだけでは、債権者が必要としている前叙のような内容の慣習の存在を認めるための前提として必要にして充分なだけの事例について疎明があるということはできない。のみならず本件関係土地周辺の地域において隣地との境界線殊にその未端が公道に接していない境界線から五〇センチメートルの距離を置かないで本件建築予定建物のような中層建物を建てようとする者が現われ、更にこれに異議を述べる者が現われた場合、本件関係土地周辺の住民の大多数が前者に対してなんら否定的な反応ないしは否定的評価をなさず、却つて後者に対して右のような反応ないし評価をすることについては、なんらの疎明がない。以上のとおりとすれば本件土地周辺の地域に、債権者が本件建築予定建物をリ、イの各点を結ぶ直線から五〇センチメートルの距離を置かないで建てることのできる根拠となり得る前叙のような内容の慣習があるということはできない。よつて債権者の前記主張は失当である。

(四)  以上のとおりであるから、債権者は債務者に対し民法第二三四条第一項の規定により、本件建築予定建物をリ、イの各点を結ぶ直線から五〇センチメートル以内の土地上に建てないよう求める権利を有するのもと一応いわなければならない。

第二保全の必要性について

申請の理由(二)前段の事実は、当事者間に争いがない。右事実によれば、債権者は、債務者が本件建築予定建物をその計画どおり建てることによつて著しい損害を被る恐れがあり、これを避けるために仮処分を必要とするものと一応認められる。

第三結び

以上のとおりなので債権者の本件仮処分分申請は理由がある。ところで、当裁判所は、前判示のとおり四〇番七の土地のうち、リ、イの各点を結ぶ直線以東の部分を債権者が民法第一六二条第一項の規定によつて時効取得したものと判断したのであるが、前認定の事実関係並びに弁論の全趣旨によれば、債務者は、本案訴訟において、「仮に債権者が右の土地のうちの右の部分を時効取得したとしても、西村光雄はその占有を始めるに際し過失がなかつたから、債権者は債務者らが四〇番七の土地を買受け、移転登記を了する前の昭和三八年八月に時効取得したものであり、従つて民法第一七七条の適用により債権者は債務者に対して右土地の右部分の時効取得を対抗し得ない。」旨主張することが予想される。債務者が右のように一種の時効援用を含んだ主張をすることが法律上できるか否かは民法第一四五条の関係で問題の存するところであるが、それができるとすると、所要の立証については、前認定の事実関係によれば、これに成功する可能性が多分に存する。若し債務者が右のように主張をすることができ、所要の立証にも成功するとすれば、本案訴訟では、債務者は、リ、ヌの各点を結ぶ直線から五〇センチメートル以内の土地(但し、リ、イの各点を結ぶ直線以東の部分を除く)上に建物を建ててはならない旨の判決が下されることが予想される。尤もそのような本案判決がなされても、債務者は本件建築予定建物のうちの本件境界線沿いの部分のうち北東部分以外の部分は前示のような計画どおりには建築できない。このことは前示乙第五号証の記載から認めることができる(別紙添付図面参照)。右に述べたことのほか本件諸般の事情に鑑み、債権者の申請を許容し仮処分を命ずることによつて債務者に生ずべき損害のため債権者に金一〇〇万円の保証を立てさせるのが相当と考える。

よつて債権者が本判決言渡の日から二〇日以内に右金額の保証を立てることを条件として、主文第一項後段のとおり仮処分を命ずることにし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(宮崎富哉 舟橋定之 畔柳正義)

物件目録

(一) 東京都板橋区仲町四〇番六

宅地 115.70平方メートル

(二) 右同番七

山林 一一五平方メートル

(三) 右同番九

宅地 177.38平方メートル

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